次の世代に残すべき岡山の姿を考えるページ



次の世代に投資する社会 by 日本アカデメイア. 」

2014年12月。JR岡山駅至近に年間2千万人以上の集客を見込む巨大な街 “ イオンモール岡山 ” がオープンたちまち辺りは見違えるように若返り。岡山のダイナミズムに健やかな未来を予感する、新しい時代の街のイノベーションにワクワクせずにいられません。さはさりとて、これまでの岡山の街づくりを振り返らば、それらは本当に口惜しい。ファンタジーな大人たちの杜撰な公共事業は実質破綻し、ステークホルダーは涼しい顔して雲隠れ。結局、損失処理は公金で賄われ。また、JR岡山駅至近の一等地へ立派な地下通路を開通させたはいいものの、長らく放置されたまま等、なるほど、Remember チボリ公園 , No more 林原

さらには公共交通事業の歴史的丸投げにより深刻な状況に陥って久しい岡山市(岡山県)の公共交通機関の問題を、是が非でも解決したい。加えて不採算であるがゆえ、JR西日本が電化できずに放置していたJR吉備線をLRT化しようとするナンセンスな構想は正に、自縄自縛を招き、自らの墓穴を掘る岡山の余剰幻想。いわば「地方の自殺」。

そんなことを考えるなか、岡山の健やかな未来に役立つと思われる、開かれた公共性を担う人財の輩出を目的に据えた、長期ビジョン研究会に遭遇。

長期ビジョン研究会 “ 日本アカデメイア

そのなか、第2回「アカデメイア・フォーラム」で提示された “ 余剰幻想 ” という造語に激しくインスパイアされ、次代のためのコンテンツを仕上げることに。
2. 「余剰幻想」からの脱却(あるいは20世紀型社会の克服 P.4 ) ここで「余剰幻想」というのは過去の遺産――1960年代から1980年代の輝かしい経済成長の時代――によりかかり、過去の考え方、生き方、働き方のままに、将来を描き続けようという根深い体質を指す。福沢諭吉風に言えば、それは一種の「惑溺」現象であり、「過去によって未来を卜する」態度であり、過去四半世紀に起こった変化に基本的に目を閉ざすことにつながる。



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余剰幻想から脱却するためには、地域の余剰幻想の指摘が重要

政治を含め余剰幻想はなお大手を振っているが、実際には世代間の亀裂、社会層間の亀裂が進み、民主政の基盤は急速に脆弱化している。とくに、将来の日本を担う世代にとって先行する世代の「余剰幻想」は絶望感をもたらす以外の何物でもない。そして、将来世代が希望を持つことがないようでは、日本の将来が開けないことは確かであり、それではじり貧に追い込まれ、その国際的地位の保持も覚束ないことは改めて述べるまでもない。 2. 「余剰幻想」からの脱却(あるいは20世紀型社会の克服 : P4.-P5. )

札幌(10年超)〜 東京(約10年)〜 大阪(10年超)〜 岡山(約10年)へ移住を繰り返した流れ者のワタクシ。その地その地の慣習を経験的に理解してきたなかで、岡山地方の特殊性に触れておきたい。どの地域にも存在する社会階層の問題も、こと岡山地方においては極めて深刻。そこで先般、ブランドジャーナリズムの先達の使命に帯びて、下記をエントリー。


このように、岡山の余剰幻想の筆頭は、将来の日本を担う世代に絶望感をもたらす深淵な閉塞社会の階層構造。これでは将来世代が希望を持つことは、ありません。

“ 岡山を代表する余剰幻想は、
 1. 深淵な閉塞社会の階層構造 2. 路面電車(LRT) ”


先に、「見えないもの」としての余剰幻想を提起しておりますが、岡山の地域において、もう一つ。「見えるもの」としての余剰幻想の筆頭は、路面電車(LRT)プロパガンダ


よもや岡山の路面電車の延伸JR吉備線のLRT化を許してしまえば、余剰幻想から脱却して「次の世代に投資する社会」を目指すどころか、岡山市は「次の世代にツケ払いを負わせる社会になりましょう。今こそ静かな多数派の頑張りどころです (`・ω・´)ゞ


余剰幻想を超えて from 日本アカデメイア. 」

2. 「余剰幻想」からの脱却(あるいは20世紀型社会の克服 P.8 )
次に必要なのは、20世紀のこれまでの仕組みに代わる新しい考え方や生き方の追求、働き方の仕組みの抜本的なイノベーションである。経済のグローバル化は誰しも目にするところであるが、同時に、多くの人々がローカルな経済の中で活動し、生きていることもまた厳然たる事実である。いまやどちらにおいてもイノベーションは欠かせない。また、日本という社会の持続性を支えるためにはグローバル、ローカルという視点に止まらない社会の基盤を創出し、開かれた公共性を担う人材が必要である。


ブランドジャーナリズムのスペシャリストが考える街づくりは、地域の壮大なグランドデザインに始まり、それを具体化するための都市ビジョンを描き、その都市ビジョンを実現するための住民と自治体、自治体と企業、住民と企業による協働事業に終始する。それには開かれた公共性を担う人財が必要不可欠で、グローバル、ローカルという視点に止まらない社会の基盤を創出するための、イノベーションを巻き起こす創発の場づくりが重要。

そのように考え、お都ビ研に参画している私は、グローバル、ローカルという視点に止まらない社会の基盤の創出に精励しますので、今後とも宜しくお願い致します。





岡山の余剰幻想 “ 路面電車 ” と、住民投票

大阪都構想に向けた大阪府民による住民投票5月17日の前に、『所沢市の住民投票、小中学校への「エアコン設置」が賛成多数 投票率は条件に届かず』の記事が舞い込みました。そうした地方都市の住民投票の報道に接し、日本はシルバー民主主義日本型社会民主主義を卒業して、欧米がいう民主主義に近づき始めたのかナ?と、漠と感じたり。

いづれにせよ私の使命は、旧態依然として成長を拒み続ける岡山を、可及的速やかに余剰幻想から脱却させること。そのとき岡山の見えるものとしての代表的な余剰幻想は、大正〜昭和の公共交通機関(既に役割を終えた)路面電車であり、見えないものとしての余剰幻想は、そのレガシーシステムを温存させるためにJR吉備線をLRT化し、路面電車を接続することで、撤去を不可能にしてしまえ!というナンセンスな着想が罷り通っている事実。

巨大で重厚な鉄のカタマリを動かすには余計にエネルギーが必要で、保守点検や保線にかかる費用は莫大で、結局は社会の負担。ムダ使い。遅い割に制動距離が長く、簡単には止まれないので危険極まりなく、大通りの中央を占拠することから渋滞の立役者。曲がり角ではギーギーと不快な音を立て、架線は街の景観を台無しにし、軌道はベビーカーを押すママをふらつかせ、レディのヒールをへし折り、自転車をパンクさせるグロテスクな路面の線路は、しばしば歩行者を転ばせる。過去どれほどの人々を泣かせたことでしょう。しかも事故がおこれば全線不通。地震が来ようものなら復旧にどれほどの日数を要するか、リスクは未曾有。

そんな路面電車をJR岡山駅前に乗り入れるとか、不採算であるがゆえJR西日本が電化せずに放置していたJR吉備線をLRT化しようとは、開いた口は塞がらず。駅前乗り入れに数十億、吉備線LRT化に160億円かかるとか、そんな公金のムダ使いは許されません。その数十億円でもって路面電車を廃線し、近未来の公共交通網を構築し、余剰金は将来を担う子ども達の教育費用に充てるべき。そのように考えるほうが極めて健全だと存じます。

公共交通は、誰のためにあるものか? 岡山市民、岡山県民、県外からの来訪者のためにあるもので、公共交通を請け負う事業者のためならず。

どうしても路面電車をJR岡山駅前に延伸し、JR吉備線をLRT化したいのなら「岡山市も住民投票をもって民意を確認しなくてはなりません。